第2回 小滝一正(おたきかずまさ)先生

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御自宅の居間にて。

ハンス・ウェグナーのベアチェアーとともに。

小滝先生の鉄道模型ジオラマがすごいらしい!?

温厚なお人柄で学生たちから慕われていた建築計画の小滝一正先生。2005年の退官後に始められた「鉄道模型ジオラマ」は、専門誌の表紙を度々飾り、東京都美術館での展覧会で毎年好評を博していると聞き及びます。そこで昭和58年~平成3年入学の研究室メンバー有志で、代々木上原の御自宅にお邪魔してまいりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご自宅前で

【御自宅について】

小滝先生は、御自身で計画し、研究室後輩の宇野氏に設計を依頼した住宅に、奥様と御姉妹との2世帯住宅として暮らしていらっしゃいます。
 しっとりと落ち着いた雰囲気のコートハウスの2階リビングでおもてなしを受けながらお話を伺いました。

 

 小滝 この周りは木造の家が建て込んでるからね、木造でつくるのもどうかなと思ったんだけど、僕以外の家族全員が木の家がいいって。それで、退職する5年位前に木造で建てたの。

 玄関を見てもらったと思うけど、当然バリアフリーで。あと、玄関脇と僕の部屋の入口のところの小さなスペース、物置になっているんだけど、必要になったらエレベーターをつけられるようにして。

(今は全く足は大丈夫ですよね。屋根裏部屋までハシゴで上がっていらっしゃるんですものね(笑)。)

 小滝 まあね。

(奥様は家の打ち合わせは?)

 奥様 私はもうほら、主人が専門家だから。やっぱり吹き抜けが彼は好きなんですよね。前のうちも吹き抜けになってたんですけど。

 小滝 寒くて寒くて。

 奥様 今度もまた吹き抜けがあって寒くて(笑)。今は戸が閉まっているところ、ここは全部あいてたんですよ。上あいているんですけど‥‥

 小滝 ロールブラインドをつけてたんだけど、やっぱり冬。吹き抜けって上に抜けるのが問題だとばっかり思ってたら、そうじゃないんだよ。下から冷たい空気が上がってきて、ここにダーッとこう、足元に。それで階段のところに低い扉をつけて防いだりしたんだけど、どうもだめで。つい最近、アクリルで壁と扉をつけた。透明じゃないと開放感が‥‥

(最近つけたんですか。)

 奥様 10年かかってやっと(笑)。もうこの寒さには耐えられない、と説得して。冬は本当に寒くて、夏は冷房が効かないんですよ。

 小滝 電気代がものすごい。

奥様 人が来ると「このうちは何だ」ってね。

 

 小滝 それでもやっぱり開放的にしたいんですよ。それと屋根裏部屋。つくっておいて良かった。何をやるかなんて決めていたわけじゃないけど、物置と、あと何か多分趣味のことをやる部屋、スペースになるなと思って。

 

【鉄道模型について】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋根裏部屋にて

 

 

(先生の御趣味の鉄道模型、始めたのはいつごろからですか。)

 小滝 あれは10年ぐらい前。退職してから、ちょっといろいろ経緯があってね。

65歳の3月に退職して、半年たってやっとペースがわかってきた。今まではそんなに時間がなかったから、時間の自由を得られるのは嬉しくて。さあ、これから海外旅行とか国内旅行とか、いろんなところに行こうかと思っていたときに、体調不良になって体力がなくなって、もう外国もちょっと無理だなという感じになった。それでしょうがないな、じゃあ何やろうかというので始めたのがジオラマ。1個やってみたら面白くて。

(そのきっかけというのはどういうものだったんですか。)

 小滝 元々少し持ってたんですよ。それまでも興味がなかったわけじゃなくて、模型店に行って「SLの××欲しいな」なんて、懐が豊かなときに買ったりしたわけ。あと息子が小さいときには、息子にかこつけて。

(本当はお父さんが欲しいのに。お父さん、僕は欲しいって言ってないよ、みたいな(笑)。)

 

 小滝 ところがこっちがあんまり熱心になっちゃって、息子はしらけちゃって、全然続かなかった。それで、じゃあやってみようかと、最初のやつをつくったのが10年前かな。その初代作は今、屋根裏部屋でもうぐずぐずになってる。この雑誌(Nゲージマガジン49号)に載っている信州鉄道中山線。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

N Gaugeマガジン

 

 

 

 

 

 

 

 

信州鉄道中山線の記事を見ながら

(どこからどこに行っている電車なんですか?)

小滝 全く架空の線。

(!)

(これ最初はどのぐらいの時間、日数がかかったんですか。)

 小滝 1年ぐらいかかったかな。これは一畳大よりさらに足したからもうちょっと大きいんですよ。

(いきなり最初から大作に挑もうというところがすごいですね。普通、大作をやっても完成しない。最初はやっぱり図面を描くんですか。)

小滝 これなんかはそうね。模型の線路は既製品で何種類かあって、曲率だとかが決まっているし、ポイントなんかもカーブがあるから、そういうところは作図して接線方向につなげないと‥‥

(‥‥滑らかに走れなくなっちゃう。でもここを駅舎にしてとか、そういうのは図面を描いて?)

 小滝 いや。寸法を測りながら大体の見当はつけていますけど。

(先生がさっき御説明されていたように、ジオラマには何かストーリーがあるじゃないですか。広島電鉄にあった、ドイツから来た車両をジオラマの中でドイツに里帰りさせようとか、そういう発想がすごいです。例えば箱根登山鉄道のジオラマなんかは、ここで結婚式をやってここで披露宴という、ストーリーがあるんですね。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

箱根登山鉄道と書斎にて

 

 小滝 いろんなエピソードは最後、人を置いたりしたときですね。2人いれば、必ずこれはどういう関係なのかと。

(人を置くときにストーリーが‥‥。最初はなかったんですか。)

 小滝 そういうストーリーはあんまりなかった。全体の構想をどうしようかというのはあるけど。

(では最初は、例えば箱根登山鉄道をつくろうというのが、一つの軸でボンとあって?)

 小滝 そうね。やっぱり車両の方が魅力あるじゃないですか。ベルニナ急行とかさ。今はもうかなり新しくなったけど、そういうのを欲しいなと思って時々買ってたわけ。それが何両かあったので、やはりちゃんと走らせてやりたいなと思って。

(最初にやるきっかけは、買ってしまった鉄道を披露する場、スターにしてあげる場所をつくろうと考えたわけですね。最初の作品の中山線の電車は信州ということで、しなの鉄道とかの車両を使ったんですか。)

 小滝 いや、中山線自体が架空なので、そうとらわれずに元国鉄で走っていた車両を使ってる。ただこだわっているのは、この当時は電化されていない、非電化区間。SLかディーゼルか。ディーゼル機関車かディーゼルカーか。

(信越線みたいな感じですね。)

 小滝 信越線みたいでしょ。それで「信州鉄道」なんて適当につけて。信州鉄道シリーズというのが幾つかあるんです。

(じゃあ、それは先生が命名したということですね。しなの鉄道はあるけれども、信州鉄道は実在しない。)

 小滝 ないない。

(この間、お伺いしたとき御一緒に来ていただいていた方たちは、お土産は車両でしたよね。通(つう)のお土産だと。)

 小滝 ああ、そうそう。銀座の天賞堂ってすごい高級なところの。矢鳴さんたちが持ってきてくれてね。去年来たときは、D51のSLを持ってきてくれた。あれ1万幾ら‥‥。

今年は昔の貨車だった。

(いろいろ悩んで買っていらっしゃるんですね。)

 奥様 そうなんです。

(最初のものをつくられる前から、鉄道模型の雑誌は読まれてたりして?)

 小滝 ちょっと前から見てたのかな。何か鉄道模型でもやろうかなと。

この表紙(Nゲージマガジン49号)、その中山線の1シーンなんです。

すごいんだ。建築作品が建築雑誌の表紙を飾ったことはないんだけど、模型の作品が表紙を飾っているんだよ、すごいんだよ(笑)。

(この『Nゲージマガジン』にこんなに載ると、ファンが見せてくださいとか来ちゃうんじゃないですか。)

 

 小滝 いやいや、そうでもないんだけど。この表紙(同51号)も僕のやつです。これも信州鉄道の双子岳線というの。この線路すごいんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信州鉄道双子岳線

(本当だ!こんな、本当に絶対ないですね。)

 小滝 二つ山があって、その中のループでずっと山の中通っていく。これ三つの路線が独立に走れる。そうするとこういうところでクロスしたりするわけ。クロスしたりして、わくわくする。

(土台は発泡スチロールか何かですか。)

 小滝 いや、厚いスチレンボードで作った帯とかを接着して骨組みにして、それにプラスターシートというギプスみたいなのを、水に浸してくっつけていく。そうすると軽くできるんだよね、スカスカで。そういうふうにして山をつくっているんです。こういう岩やなんかは、プラスターを溶いて塗りつけていって、コテだとかヘラでガサガサガサガサって削って塗り増ししてできる。

(私、上田に仕事で行っているんですけど、しなの鉄道って今、「真田丸」の六文銭の電車に塗りかえられているんです。そういう歴史っぽいことというのは、先生は?)

 小滝 最近は城下町をつくってみたりね。

町場をつくると好んで必ず歴史的な町並みだね。信州鉄道の中宿線というのもそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信州鉄道中宿線

 

 

これなんかもかなりそういうところで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

路面電車が走る城下町(夜景)

 

(城壁を何重にもめぐらせて。)

 小滝 そうそう。石垣をつくったりね。あとこれをつくるには、城下町ってどうできているんだろうとかね。お城って意外とどうできているかわからないでしょう、いろいろなつくり方はあるけど。

(先生は取材はされるんですか。)

 小滝 松江に行ったり萩に行ったり。つくりかけ途中のときに萩に行ったんだけど、武家屋敷なんかの土塀というのはものすごく厚いものだというのを改めて気が付いて、つくり直したりした。やっぱり現地に行ってわかった。

(先生の模型をYouTubeか何かに投稿してみると、海外から反響がありますよ。)

 小滝 僕のつくるものなんて、鉄道模型の世界ではまだまだ初心者なんです。

(究めると何が究まるんですか。)

 小滝 やっぱりリアルさかな。車両をつくるのだってすごいもの。

やっぱり究極はライブSLね。実際に燃料を積んで走る。

石炭が一番なんだろうけど、実際はアルコールであったりもするわけだけど。

(完成と思うのはどういう瞬間ですか。)

 小滝 完成というのは、見切りをつけないとだめね。大体最後には人を置いて。もうこれでいいかなと。

(本当に、終わりがなかなかわからないなと思って。)

 小滝 そうね。

(それこそ竣工日も別に決まっていないので、いつまでも楽しめそう。)

 小滝 いやいや、毎年この雑誌社でレイアウトコンペというのをやっていて、それの締め切りが5月半ばなんです。だから年が明けると大体そこを目指してスケジュールを立てる。それで写真を撮ったり解説書を書いたり、線路の図面を描いたりなんかして、アルバムにして出すのね。これがそうなの。

 

 

 

 

 

 

 

応募用アルバム

 

(ああ、なるほど。そういうセットで出すんですね)。

 小滝 そう。写真によるコンペなんですよ。それを5月半ばまでにつくってまとめる。それがなかったらやっぱりまとまらないですよね、きっと。

(やはり何かに追い込まれて、刺激がないとだめですね。今、何か製作中ですか。)

 小滝 今、製作中のはあるんだけど、ここ1~2カ月止まっちゃったままで。

 奥様 でもつくっているときは、朝昼晩、夜もやっていましたからね。

 小滝 そう。朝だと、朝9時になると「出勤」といってハシゴを登って屋根裏部屋に行って、昼に降りて来て。また行って、3時になるとまた来て。

(その間は絶対に声も掛けないで?)

 奥様 掛けないです。上が暑いから下に持っていって、下でまた一生懸命つくって。でも、ここ1カ月はどうしてか、疲れたのかなとか思うんですけど。

小滝 やっぱりうんざりしちゃうことがあるわけよ、それこそ木を1500本、1カ月半そればっかりつくったりしているとね。田んぼつくるんだってそう。うんざりしてやめたくなっちゃうことがあるから、しばらく間を置かないと。

(そのとき再開できるきっかけというのは。)

 小滝 何だろうね。やり残しているポイントみたいなものがあるからね。それでやっぱりやってしまわないとな、と。今作っているのはそれこそ伝統的建造物群保存地区を作っているいるわけです。建物は大体できたんだけど、あと車を置いて、それに一台一台にヘッドライトとテールライトを仕込む。

(そこに走る鉄道はどういう系ですか。)

 小滝 それはレトロな車両があるんですよ。レトロな市電で、運転台なんかオープンになってるの。そういうのが幾つか面白いと思って買ってつくってあります。

しかもそれは架線から電気を取って走らせるというもの。さっきのあれ、ハノーバーの市電もそういうふうにもできているの。

(感電しちゃったり。どこかで絶縁しないといけないという。パンタグラフみたいな。)

 小滝 そうパンタグラフから、機械式に電気を取る。だから下から押し上げる力とか架線の高さを一定にしないとだめだし、カーブのところなんか架線から外れちゃうし、やってみてからそんなところに気がついたりなんかして、なかなかうまくいってない。

パンタグラフのところからこうやってここに出てきて、接点をつくってとかね。それから架線の柱をこうやって真鍮のパイプでつくって、ネジで基板に止めてぐるっと回すとか‥‥。

 

 

 

 

 

 

 

 

ハノーバーの市電

 

 

【トイレの研究について】

 ここで少し鉄道模型を離れ、小滝先生の研究室での活動についてお尋ねしました。

 

(先生はトイレを研究テーマの一つとして様々な活動をされていましたよね。)

 小滝 卒論のテーマに出したりね。トイレだけは今も興味を持っています。引退してから70歳定年ということに決めて、一切の社会的な役割を全部断っちゃったんだけど、それまでは日本トイレ協会の理事だった。

(最終講義のときも「トイレだけは」とおっしゃっていましたよね。)

 小滝 トイレだけは関わるというか、少し勉強していってもいいかなと。それだけですけどね。

(今、女性のトイレなんかすごい変わっていますよね。)

 小滝 そうでしょう。東京あたりでは銀座の松屋デパート、あの辺が割と早い時期に変わった。京王デパートなんかは中高年をターゲットにして、女性のトイレは随分充実している。

僕、退職直前に工学部の講義棟のトイレの基本設計をやったんですよ。講義棟を入ってすぐ右のところにあったじゃない。青木先生が「急に予算が700万ばかり使えるのができたんだけど、講義棟のトイレを直せないかな」と相談してきてね、僕も退職間際だからこれは置き土産にいいやと思って。ちょっと実施設計が施設部だったから気に入らないところもあったけど(笑)。女子トイレも小さいのをつくったけど、男子トイレは小便器に一つ一つ仕切りをつけて雁行させてずらっと並べた。男のトイレもそういう個別化というのが進んでいるんだよね。

僕も理事をやっていた日本トイレ協会という協会、やっと最近、一般社団法人になった。毎年どこかの自治体と組んで、全国トイレシンポジウムというのをやってて、そこでいろんな議論をしたり、「グッドトイレ10」なんていう公衆トイレの作品を募集して、それを審査してプレートをあげるとかね。そのトイレ協会の功績は随分大きいと思っているんですよ、僕は。

(デザインだけじゃなくて、いろいろコンテンツも重要ですよね。)

 小滝 最近は、活動とかもね。公益活動の中でトイレのことを考えようという女性たちがかなり活躍して、いい活動をしてたり、そういうのがあちこちに出てきている。

(最終講義で先生がおっしゃったときに、どちらかというとバリアフリーのトイレをイメージしていたと思ったんですけれども。)

 小滝 僕が主として興味を持っていたのはバリアフリートイレ、車椅子トイレ。車椅子トイレのそもそもの解説書みたいなのを書いたりなんかもしています。

僕が大学院生のときに、東大病院の中のリハビリテーションセンターのインテリアの設計を手伝わされたことがあったんです。そのときに初めて車椅子トイレというのに僕は接したの。そのときにアメリカから帰ってきたリハビリテーションの専門の上田(敏)先生という人がいて、熱心にいろんなことを教えてくれたわけ。そのときに僕が直接担当したんじゃないけど、林玉子さん(当時の老人総合研究所)が、上田先生だとか理学療法士、作業療法士に、そのトイレの部分をどういうふうに使うのかということをいろいろ教えてもらった。さらに多分、外国の事例も参考にしたりして、車椅子トイレ、今は「多目的(多機能)トイレ」とか「だれでもトイレ」という言い方をしているけど、その基本みたいなものが初めてできたと僕は思っているんです。

 

 壁側の方にL型の手すりがあって、もちろん腰かけ便器で、それが壁側に寄ってて、反対側に可動式の手すりがある。それの基本がそこでできたんだと思っています。そのときは、可動の手すりのストッパーをつけるのを忘れちゃったりしていて問題になって(笑)、後から慌ててつけたりなんかした。そういうのをそばで見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこに僕も加わって、「日本肢体不自由児協会」という障害者の協会に「障害者の生活環境をつくる会」ができました。恩師の吉武(泰水)先生を頭に、建築の人、リハビリテーションのお医者さん、理学療法士、施設を運営している人たちが集まって、研究会をやっていたんですよね。

そのグループが、今度は、障害者・高齢者に配慮した公共施設の設計基準をつくろういうことで、直接的には建設省のつくる建物の設計基準をつくったんだけど、それはやっぱり影響は大きいですよね。それで基準みたいなものができて、それがいろいろ改良されてきて、今の姿になっているんです。日本人の生まじめさで、いろいろ細かい工夫をするでしょう。そういうものがいろいろ集まって今の姿になっているという、非常に日本流の発展をしているんですよ、今の多機能トイレって。イギリスに行ったってアメリカに行ったって、そんなきめ細かいことなんて決まっていない。ただ広い部屋があって、ドアの前勝手も広いから引き戸にも、自動になんかにもしなくて済んでいて、大ざっぱなところは非常にいい。(日本のように)あんなきめの細かいいろんなことはやっていないんですよね。

 割と近いところで僕が最後にトイレにかかわったのは、交通バリアフリー法のトイレ整備の基準のときです。全体の委員会の中でトイレだけワーキンググループができて、それを任されて、そのときなりにつくったんです。さらにまた発展していますけど、そのときに初めて入れたのは、いわゆるオストメイト、人工肛門をつけている人たちの洗浄するためのトイレ、そういう機能をそこに入れ込んだのは僕らが初めてだったと思います。

(最近はちゃんとオストメイト用トイレがいろいろなところにありますよね。)

 小滝 そう。オストメイトのマークもできましたね。交通バリアフリー法の基準のときにあのマークができたんです。

でもちょっと細か過ぎるという感じがするんだ。もうちょっと大ざっぱな方が‥‥。

(今は便座の高さの基準等もいろんな配置もミリ単位じゃないですけど、全部かっちり決まっています。障がいって人それぞれ違って、学校では発泡スチロールや何かつけて調整したりしています。設計をやっていると、「あまりがっちりしたものじゃなくて、もっとカスタマイズできないと困る」と言われることがあるんです。だからもうちょっと緩くしておいて、アジャストできるようにしておいた方が良いと思います。)

 小滝 そうだね。だからああいう基準づくりの功罪両面が出てきていると思うんですね。これからどうなっていくのか、それだけは見届けたいんですけどね。

 

【退官後の時間について】

 最後のまとめとして、退官後の時間についてお聞きしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小滝 今は、退官後の時間を楽しんでますよ。引退は憧れの境地だったんです。

(還暦のお祝いのときに最後にスピーチされてみんなが知っていましたよね。何もしないことが一番やりたいことだって。)

 小滝 別に鉄道模型づくりを目指していたわけじゃないけども、何かとにかく縛られない生き方をしたいというのはあります。そもそもはフランスに行ったとき、フランス人はとにかく引退を目指して働いているんだということ。そのきっかけは、高齢者施設を見に行って、年金財政の話が出て。フランスでも年金財政は非常に厳しいんだと言うんで、誰かこっちから行った人が「じゃあ、年金の支給年齢を上げればいいじゃないか」とちょっと言ったのね。そうしたら、とんでもない!と言われて。フランスでそんなことを言い出した政府はすぐ潰されると。フランス人は引退生活のために働いている、年金生活に憧れて働いているんだと。だから年金を60歳ではなく50歳に下げると言えばみんな喜ぶけど、65歳に上げるなんて言ったら、全然だめだというわけ。フランスの価値観って、僕はよくわからなかったんだけど、それだけはいたく共鳴してね(笑)。引退後に悠々と生活するというのは、憧れの境地だったんですよ。

 奥様 ずっと60歳で辞めたかったんです。それが定年が65歳に伸びて、一回がっかりして(笑)。それでもう5年だけで、皆さんに励ましてもらって。

(楽しい、やりたいことがいっぱいあり過ぎていいですね。)

 奥様 それが健康にいいのかもしれない。

(今、鉄道模型をつくっている方が、逆に土日とかないんじゃないですか。毎日やっているんですね。)

 小滝 毎日毎日。土日ないですね。

(いいですよね。完成してもずっと残るし。みんなに見てもらって、また楽しいし。)

 小滝 この付近にも「上原五人衆」といってる代々木上原の地元の何人かがいるんだけど、その仲間が広がって、毎年暑気払いをやったり忘年会をやったりする。そのときとか、それと別に模型を見てもらう会をやって、声を掛けると1516人から20人ぐらい集まる。

そういうきっかけにもなるというのが面白い。昔の友達との交流が復活しているというのも面白いですね。(模型が)その一つのきっかけになった。

(来年また東京都美術館で自作の鉄道模型を発表されるのですか?)

 小滝 今年の12月にもあるんだけど、それはちょっとした、下にあるハノーバーのあれぐらい出そうかと思って。あと東京都美術館で来年の7月に予定されているのかな。

どれを出すか‥‥これはまだ出していないので。でもこれはあんまりそういうところで見るにはね‥‥路面電車だから建物の陰になっちゃってあんまり見えないんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

路面電車が走る城下町(夜景)

 

 (小田原城ですよね。)

 小滝 どことも言えないんだけどね。天守閣は実は彦根城のプラモデルなんだ。あれは手作りではちょっとできないし。スケールも違うんだよ、150分の1じゃなくて、280分の1とか。でも遠景だからいいやと思ってさ。

これは、結構思い入れがあるんだけどね。でもまだわからない。今年のコンペには応募したんだけど、また努力賞止まり。毎年、努力賞止まりで入賞しない。すごい要求レベルが高いんだよ。道端の草1本1本植えるようなさ、そういうリアリティーが‥‥

 

【インタビューを終えて】

小滝先生は、一日が何時間あっても足りないような充実した日々を過ごされていました。

最後に、インタビューの後日に先生からいただいたメールの一部を引用させていただきます。

 

【私は引退後の人生を勝手に「第3の人生」と称しています。

第1の人生は生まれてから、どうやら仕事ができるようになり、私的には結婚する頃まで、

第2の人生は仕事に脂がのり、家庭を築く時期。円熟の時期。

そして引退して精神的にも時間的にも自由になるのが「第3の人生」というわけです。

第1、2の人生は何かと拘束されがちで、必ずしも自分の思い通りにはいかないですが、

「第3の人生」は自由に生きたいと思うわけです。】

 

201694

インタビュー参加者

 志村 康久(昭和58年入学)清水建設株式会社

 柳澤 要 (昭和58年入学)千葉大学大学院

 飯野 直志(昭和58年入学)東日本旅客鉄道株式会社

 村上 恵美(昭和58年入学)AtelierMIEL一級建築士事務所

 赤桐 雅子(昭和63年入学)赤桐雅子+西田雄一建築設計事務所

  遠又 美穂(平成2年入学) 株式会社市浦ハウジング&プランニング

 江口 司津(平成3年入学) 株式会社市浦ハウジング&プランニング